イタリア旅行 その1

昨年ブログを始めてみたものの、正直あまりブログというものに慣れず、気がつけば1年近く更新せずにいた(--;)。
しかし、本日イタリア旅行から帰国し、自分の備忘録にもと思い、書いてみたいと思う。


振り返れば、夏の夜の夢のようなイタリアでの1週間。始まりは6月28日(金)から。
旅のお相手は、最近仕事を辞めてフリータイムができた母。母にとって本格的な海外旅行は初めてだったので、旅行会社のフリープランパッケージ(フライト+ホテル+電車移動+空港送迎のみ固定)を利用した。決めるに当たっていろいろ比較検討したが、ユーロが高い今、自分で全てアレンジするのとそれほど価格も変わらなかった。手頃が省けてオススメだと思う。




【6月27日】@東京
仕事を終えて、母と上野駅で合流。そのまま、成田空港近くのホテルへ。職場の福利厚生制度の特典を用い、4,000円以下の激安価格で宿泊。
客が少なかったのか、なぜかスウィートルームにアップグレード! 旅行の全日程中、ここが一番豪華な宿でした。




【6月28日】@ローマ 
旅行会社より指定された空港でのチェックイン時間は11:00頃。少し早く着いて10時過ぎにチェックイン。
イタリアとの時差(夏)は7時間。日本海を越えて、シベリア付近までは、気流の乱れから大分揺れたが、シベリア以降は快適な空の旅。
映画を2本くらい見て過ごした。


イタリア時間19:00頃に、ローマのレオナルド・ダヴィンチ国際空港へ到着。
地中海性気候、湿度は低く、カラッとしているはずが・・・、あれあれ、じめ〜っとしている! 聞いたところによると、ちょうど6月25日頃から、湿度が高く非常に熱い日が続いているのだとか。
しかし、さすがは西欧の国。19:00でもまるで夕方を思わせる明るいお天気。
パッケージプランに含まれたタクシー送迎により、市内のホテルまで移動。
他の日本人との相乗りになると聞いていたが、私たち2名のみ。
実は全日程を通して、日本人は予想よりはるかに少なかった。おそらくまだ本格的な夏休みシーズンに入っていないためだろう。


20:00頃にホテル到着。地下鉄Ponte Lungo駅から徒歩10分程度の住宅街にある外国人観光客向けのチェーンホテル。
シャワーのみで湯船がなかったが、それが気にならなければ、過ごしやすいホテル。
何より、住宅街の中にあるのがよかった。
夕暮れ時の窓に見えるイタリア人の普通の生活。窓にはオレンジ色の光が灯り、窓辺には植物が溢れ、カラフルな洗濯物が風に揺れ、休日の家族がバルコニーでくつろいでいる。
一応機内食で夕食は済ませていたので、近くのジェラート屋でジェラートを食べ、八百屋で果物を買い、ホテルの部屋に戻り、早めに就寝した。
最初に食べたジェラートは、確か、limone e albicocco。



さて、ここから、極上のバカンスがスタートしたのでした。
第1回はとりあえずこの辺で*1

*1:トラックバック初めてなので、練習させていただきます 拝

誕生日

現在26日深夜2時。
ほんの2時間前まで、誕生日だった。


実は「お祝い」的活動は既に済ませていたので、今日はごく普通の土曜日だった。


24日24時をわずかに経過したころ。

帰宅途中ふと思い出して、その日のお昼に職場の先輩たちからもらったメッセージカードを開いてみた。お祝いランチを開いてくれたのだ。すると、職場で斜め前の席にいる人や、現在夏休み取得中の人まで、さらには海外から3名も、メッセージを寄せてくださっていた・・・。電車の中でにやけ笑いが止まらない。

すると、同期からメール。「一番早いおめでとうを」とのこと。
朝方、親しき友人からメール。
続いて母親から電話。(誕生日を意識したわけではなく、別件で。。おい、自分のお腹を痛めて産んだ子の誕生日ですよー。)
その後、二度寝してメール。三度寝してメール。家でボーっとしながらメール。タリーズで本読みながら、メール。買い物しながらメール。帰宅してメール。ご飯食べながらメール。パソコンしながらメール。ぱらりぱらり。最後は、25日24時になるわずか前に、滑り込みで同僚からメール。


本当にありがとう。感謝の思いでいっぱいだ。メールをくれた人も、メッセージカードを企画してくれた人も。本当に嬉しかった。中学・高校時代の同級生、大学時代の友達、大学院時代の友達、職場の同僚・・・。何年も会っていない人からも。正直なところ、全く予想していなかった。「誰も覚えてるわけないし、来ても1つか2つかなー」、くらいに考えていた。


正直言って、自分は人への思いやりが足らず、不器用で、周りで輝いている人を見るにつけ、比較してため息をついているような人間である。でも、自分の周りにはこんなに人がいてくれたんだと改めて思い、感謝の気持ちでいっぱいになった。周りの人を大事にして、感謝して、やっていこう。


でも、みんなすごい!「他人」の誕生日をこんなに覚えてるなんて。そしてマメに連絡してくれるなんて。(私は年に数えるほどしか、お祝いメールを送っていない・・・。)人をこんなに幸せな気分にできるのなら、これからは私も、マメに友達にお祝いメールを送ろう。


みなさま、今年もどうぞよき友でいてくださいな。

田舎の子

ひ弱になったものだと思う。


帰省して二日目の昨夜、祖父が畑で刈ってきた枝豆の枝から、鋏で鞘を切り取る作業をした。地味な作業ではあるが、内心びくびくしていた。いつか衝撃的な遭遇をしないかと。


幼虫と。


田舎出身。小さな頃から、山や川、畑や田んぼに親しんできた私でさえ、都会の鉄筋コンクリートに守られた生活の中で、いつしか「幼虫」は、人生における天敵となった。


地元を離れて早10年近く。帰ってくるたびに、山は青く、緑は濃く、自然は原始に戻っていっている気がする。過疎化で人が離れ、自然が純化されている。


都会にいる間は、都会に自分の居場所はないと思い、心の奥底に地元の大自然を思い描いているが、ここに来て知るのは、自分の居場所は、ここにもないということ。大自然は、優しく、そしてどこかよそよそしい。


ひ弱になった。


都会は便利だ。田舎暮らしには苦労が多い。しかし、朝は蝉の鳴き声を聞き、太陽を存分に受けて育った野菜を食べ、夜は満天の星を眺め、虫の音を聞きながら眠りに入るという生活は、苦労こそあれ、豊かなものに思える。


一極集中する社会の中で、地方と都会という二重性の中で、生きる人は多くいるはずだ。


  卒業は上京のこと田舎の子


(帰省中徒然なるままに)